軋む日々に堕胎した感受性

お久しぶりです、だいたい二ヶ月振りにブログ書いてます

忙しさを言い訳にしてはいけないと分かってはいるのですが色々とありましてやっとブログ書いてます

ズュンヤです

 

まぁ、ツイッターとか諸々見てる人なら知ってると思うのですが新しい音源をリリースします、後、アー写も変えました

今月に久しぶりにライブも決まったし周りと比べると遅いかもしれないペースではあっても色々進んどるんですよ

意外とワクワクすることが多くて今楽しいんですよ

ほぼ毎日ラーメン食べてるし

 

あんまりブログとかそういう物でパーソナルな部分出したくはないのだけれども、久しぶりに書くし最初のブログで備忘録的に捉えて欲しいって書いたんでそんな感じで読んで欲しいのだけど

まぁ~ライブが決まったりRecしたりアー写撮ったり色々したのはここ最近で

それまで活動らしい活動があんまり出来てなくて我慢してた時間が多かったわけなんですよ

まぁ今後も我慢する時間が無いのかって言ったら今後も我慢する時間多いと思うから我慢する事が無くなったわけじゃないんだけど

我慢してた時間色々考えるわけですよ、下らん事からワクワクする事、しんどい事とか

そういう諸々を考えるのが嫌になってなんも考えないようにしてた期間もあったんだけど考える時間で色々と変わった考えもあってそれのお陰で肩の荷が降りたり、少し大人になったかもなんて思ったりして

ただ、変えられない部分もクソほど多くて

ブログタイトルの

「軋む日々に堕胎した感受性」

これ歌詞にしようかと思ってた一節なんすよね

擦り切れた日々がしんどくも心地よくてその日々があったお陰で色々と書けた曲が多くあって

ただ、擦り切れることもない日々はただ軋んだ歯車が回っているような感覚になっていて、感性と感受性が死んでいく感覚に苛まれる日々をほぼ一年過ごしてて

感受性って元々持っているものじゃ無くていろんな物見たり聞いたり感じたりして生まれてくる物だと思うんだよね

だから、感受性が死んでいくってことは堕胎してるのと変わらないと思うんだよね

何十回と書いては何も感じなくて消していった言葉が山のようにあって

綴る言葉の全部が薄めたカルピスみたいに感じてたんよ

毎日こんな気持ちになるためにバンドをする事を選んだわけじゃないのにって思いながら過ごしてた

肝心な言葉と感情ほど誤魔化す癖があって結局臆病なのは何年経っても変わんねぇなってなってガキみたいな自己嫌悪に吐きそうになったり

ライブしてる知り合い見て無駄にイラついたり

 

ただ、最近やっと自分の書いた歌詞に色が見えてきた気がしてこれからどうなるか分かんないし俺らはこのやり方を選んだから変えるつもりもないけど

やっぱ俺の嫌いな糞みたいな自分を殺す方法はライブしかないなって思ったんで

誰かを、何かを待つのは得意なんで

少しづつ言葉に色付けながらぼちぼちやっていきますわ

 

この間、知り合いに人生で一番若い瞬間は今だぜ?って言われて何も言い返せなくてそれでも何度もその言葉を反芻してみて、今を生きてはいるけど今しか生きてる訳じゃないなって思って

いろんな人の義理に答えられなかったり、自分の決めた信念が揺らぎそうになる日々ではあるけど

俺は結局俺を辞められないから

笑う奴も、馬鹿にする奴も、見くびってきた奴もごまんといるし見てきたし会ってきたけど

自分たちの力不足なんて誰よりも自分たちが知ってるから

うるせぇよ、バカ

全員ぶち抜く

そんな感じで今日も生きとります

 

何度も言ってきたけど

また音の鳴る場所で交わえる事を俺は諦めんから

生きて、また、どっかで会いましょう